役所工事@道玄坂
古都と古城の旅-26 ラヴェンナの街

 ラヴェンナはポー川河口の湿地帯に、ヴェネチアと同じように杭を打ってその上に作られた港町であった。現在は灌漑により海岸線は10kmも離れてしまったが、ローマ帝政初期に軍港として整備され、アドリア海の要として発展した。 402年には異民族の侵入に耐え切れなくなった西ローマ帝国のホノリウス帝が、海と沼に囲まれ海軍力の無いゲルマンに対して防御に適したこの地にミラノより都を移す。しかし、それも束の間のことで、476年傭兵隊長オドアケルによって西ローマ帝国は滅びる。その後、東ゴート王国のテオドリックによって善政が行われたが長くは続かず、 540年東ローマ帝国の名将ベルサリウスによって征服され、皇帝ユスティニアヌスの支配下に入り、ビザンティン文化が花開く。金箔をサンドイッチしたテッセラを使ったモザイクによる絵画が特徴的で、ラヴェンナがモザイクの都とも呼ばれる所以である。
 早く床につくので目覚めは早い。食事前にバールエスプレッソを引っ掛け、宿に近いサンタポリナーレ・ヌォーヴォに向かう。テオドリックによって建立されたバシリカ式の教会で11世紀に作られた丸い鐘楼が特徴的ある。 身廊側壁のモザイクが見事で、布教物語、22聖処女、26聖人、3博士、聖母子などが眩いばかりのモザイクで描かれている。本当は郊外にあるサンタポリナーレ・イン・クラッセまで足を延ばしたいのだが時間がとれそうもない。日曜日の早朝とあって、街には人影もまばらで、旅の感傷に浸っていた。
 朝食の後、まずは宿のそばにあるブランカレオーネ砦を訪れる。15世紀、ヴェネチアの支配下で作られた結構おおがかりな砦で、ヴェネチアの国力が強かった証である。今は公園としてきれいに整備されているが、当時はリミニまで勢力を延ばしたヴェネチアの前線基地として重要な施設であった。
写真提供 ●山中和正氏 ■東伸宏氏◆中城正堯氏Veneto_ITALIA_ラヴェンナの街


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1 地図(Ravenna)
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2 案内図 (Ravenna)
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3 Rocca di Brancaleone (Ravenna)15C
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4 Rocca di Brancaleone (Ravenna)15C ●
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5 Rocca di Brancaleone (Ravenna)15C
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6 Rocca di Brancaleone (Ravenna)15C
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7 Rocca di Brancaleone (Ravenna)15C ◆
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8 Rocca di Brancaleone (Ravenna)15C ●
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9 城壁(Ravenna) ◆
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10 城壁(Ravenna) ●
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11 S.Apollinare Nuovo 正面外観(Ravenna)0900- ロマネスク
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12 S.Apollinare Nuovo 側面(Ravenna)0900- ロマネスク
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13 S.Apollinare Nuovo (Ravenna)0900- ロマネスク
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14 S.Apollinare Nuovo (Ravenna)0900- ロマネスク
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15 S.Apollinare Nuovo 身廊(Ravenna)0900- ロマネスク
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16 ポポロ広場 (Ravenna)
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17 ポポロ広場 (Ravenna) ●
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18 ポポロ広場 (Ravenna) ●
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19 街並、街角(Ravenna)
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20 街並、街角(Ravenna)
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21 街並、街角(Ravenna)
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22 ダンテの墓 (Ravenna) ◆
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23 ダンテの墓 (Ravenna) ◆
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24 ダンテ (Ravenna) ◆

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