役所工事@道玄坂
古都と古城の旅-22 イモラのスフォルツェスコ砦


 6日目。中日を迎える。今回の旅で最も移動距離が長い行程である。朝早くフィレンツェを発ち太陽の道(A1)に乗り入れ、アペニン山脈を横断して一路未開の荒野へ。添乗員 の話を遠くに聞きながら早起きの睡眠不足解消に専念。うつらうつらしていたら、バスはアペニン山脈を越えてボローニャ郊外へ。山脈といっても険しい峡谷があるわけでもなく高原という感じで、長いトンネルを過ぎるともうそこはポー川流域の広大な平原である。 高速道路のバスの窓から、円筒形の塔を沢山もった建物群が目に入る。「あれ〜、かつて見たことある形」。それも、そのはず。かつて、工事屋が丁稚奉公していた時、作らされた模型にそっくり。日本の著名建築家が建てたボローニャのフィエラ(国際見本市会場……幕張メッセ、東京ビッグサイトと同じ)の建物である。こんな、目立つ所にあるなんて、ちょっと気恥ずかしい。論評は恐れ多くて口には出せません。
 エミリア街道はアペニン山脈の北側山麓を真っ直ぐ200qも貫いて走る、ローマ時代にエミリウス・レピドゥスが前2世紀に建設した街道である。東端はフラミニア街道の終点リミニで、 西側はポー川の渡しがあったパヴィア(ロンゴバルド王国の首都)を経てメディオラム(ミラノ)と結ばれている。この街道沿いにローマ軍の駐屯地がいくつもでき、街が発展した。 牧畜や採取を中心としたトスカナ地方と異なり、ポー川流域に広がる肥沃なロンバルディア平原は栽培農業が中心で、集約的な大農園制度が発達した。民族大移動後はいくつかの国家の興亡や仏、独の軍隊の侵入など戦乱が絶えなかった。そんな中、領地を守るために地方の豪族達が兵力を蓄え、有力者の下に集まるようになり、皇帝や王から爵位をもらい封建領主が生まれる。 一方、形の上で教会に寄進して宗教の権威で領土を保全する教皇領もいたるところにでき、その領地を管理する教皇代理人が僭主化し、やがて爵位をもらう例も多く、北イタリアには多くの世襲の領主が生まれ、城が作られた。ファルネーゼ家(パルマ)、マラテスタ家(リミニ)、 エステ家フェッラーラ)、ゴンザーガ家(マントヴァヴィスコンティ家パヴィアミラノスカラ 家(ヴェロナ)等が有名である。特にエミリア地方は、その成立過程から言ってローマとの結びつきが強く、本来は教皇領であったが、教皇が変わる度にその領有を巡って争いが繰り返される上に、 イタリアに勢力を張ろうとする独仏の軍の侵入、内陸部に勢力を延ばそうとするヴェネツィア共和国やこの地方最大のコムーネ(実際は僭主制)・ボローニャの動向など、ルネサンス期は混沌としていた。
 これから向かおうとしているイモラは前82年にコルネリウス・スッラによって開かれたフォールム・コルネイリが発展した街である。15世紀には、ミラノヴィスコンティ家の傭兵隊長で、 ついにはミラノ公まで登りつめたスフォルツァ家のイル・モーロの所領であったが、姪の女傑カテリ−ナ(城を敵に囲まれ子供を人質にとられた際、城壁の上にたち『そんなもの、いくらでもここから出て来る』と言って、スカートをたくし上げたという逸話がある王妃。)が法王シストW世の甥リアーリオ伯(隣町のフォルリ領主)に嫁いだ際、婚資として携えてきたことで知られている。 スフォルツェスコ砦は1332-34年にサンタ・セーデの教皇代理人アリドーシが現在の大きさの砦を作り、スフォルツァ家の代にカテリーナの父親のガレアッツォが1472年に大改修した。
 1499年、風雲児チェザーレ・ボルジア(法王アレッサンドロY世の庶子)によってカテリーナが追放されると、この街はロマーニャ公国の実質的な首都としての整備され、彼に心酔してこの地にとどまっていたレオナルド・ダヴィンチが再び改修した。その後もサンガッロやサンミケーリの手によって改修が繰り返され、 多分イタリアで一番ルネサンスの特徴を残している城だと思われる。長方形の4隅に円筒形の櫓を持ち、それを繋ぐレンガでできた厚い圃塁は垂直にそそりたち、上部の矢狭間は鉄砲の時代を象徴するかのように狭い縦長の窓が並んで、上部には火薬が雨に濡れないように屋根がかかっている。また、圃塁から少し張り出して、壁まで到達した敵を上部から攻撃できる石落としの穴が床に作られておりとても機能的で、 築城家としても有名なダヴィンチの面目躍如といった設計である。砦の周囲は平城の常として、広い堀(現在は芝貼りの公園となっている)で囲まれ、跳ね橋だけが出入り口となっていた。
 本来は武器博物館になっている内部に入る予定であったが、町についてから砦にたどり着くまでに小一時間も要したので諦める。フィレンツェから来たバスの運転手も初めての町でカーナビを頼りに運転していたら街中の狭い路地に入りこみ、一方通行でにっちもさっちもいかなくなったのである。 東洋の端からきた物好きな異人のグループ見たさに、暇人達が集まってきてバスを取り囲んでワイワイガヤガヤ。最後にはバスに乗り込んできて案内してくれた。お騒がせしました。尚、F1のサンマリノ・グランプリレースは、フェラーリの本社があるこの街の郊外で行われているとのことです。
写真提供 ●山中和正氏 ■東伸宏氏◆中城正堯氏E.Romagna_ITALIA_ボローニャの街


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1 Fiera 国際見本市会場(Bologna)1975 Kenzo Tange◆
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2 Fiera (Bologna)1975 Kenzo Tange◆
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3 Fiera (Bologna)1975 Kenzo Tange◆
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4 Fiera (Bologna)1975 Kenzo Tange◆
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5 Rocca スフォルツェスコ砦(Imola)1259- Davinci他
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6 Rocca スフォルツェスコ砦(Imola)1259- Davinci他
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7 Rocca スフォルツェスコ砦(Imola)1259- Davinci他
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8 Rocca スフォルツェスコ砦(Imola)1259- Davinci他
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9 Rocca (Imola) ◆
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10 Rocca (Imola)1259-
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11 Rocca (Imola)1259-
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12 Rocca (Imola)1259- ●
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13 Rocca (Imola)1259-
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14 Rocca (Imola)1259- ●
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15 Rocca (Imola) ◆
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16 Rocca (Imola)1259-
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17 Rocca (Imola)1259-
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18 Rocca (Imola) ◆
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19 Rocca (Imola)1259- ●
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20 Rocca (Imola)1259- ●
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21 Rocca (Imola)1259-
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22 Rocca (Imola)1259-
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23 Rocca (Imola)1259-
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24 Rocca (Imola)1259-
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25 Rocca (Imola)1259-
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26 Rocca (Imola) ◆
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27 Rocca (Imola)1259-
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28 Rocca (Imola)1259-
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29 Rocca (Imola) ◆

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