●『道行きの留』と通称されるキリスト最後の日の一連の場面である。ゴルゴダ(されこうべ)の丘までの十字架の道行きに始まり、磔刑、降架、ピエタ、埋葬と移り変わる。特に、ピエタは聖書の中にその記述が見られない
のに、ヨーロッパ北部の教会で礼拝像の一形式として生まれたものだそうである。
それが美術作品の主題としてもてはやされ、ミケランジェロは4つの『ピエタ(ヴァチカンのサンピエトロ寺院、フィレンツェのアカデミア美術館、大聖堂、ミラノのスフォルツェスコ城)』を手がけている。
その中で最後の作品であるロンダニーニのピエタは一度完成した作品を自分の手で削ぎ落としたものと考えられている。削ぎ落とされずに残った四肢が痛々しい。巨匠の晩年に何があったのか、興味はつきない。
●ダヴィンチと違いミケランジェロは製作に没頭するタイプだったようである。若いころからデッサン帖を離さず持ち歩き、システィーナ礼拝堂の壁画(フレスコ)は最後は助手を使わずに自分一人の手で完成させたという。
あまり、人付き合いが上手ではなかった。
ロンダニーニのピエタが、今回どの解説書を見ても『未完の作品』と説明してあるだけで、完成品を壊したものであるという話は見つけることができなかった。もしかすると、工事屋の勝手な思い込みこみかもしれない。
(絵葉書美術館-4磔刑、ピエタより)

●先日のコンクラーベ(法王選挙)が行われたシスティーナの礼拝堂は1475-81年に法王シストW世が法王の廟として作ったもので、当時の一流画家全て(ボッチチェルリ、ペルジーノ、ピンツリッキオ、ロッセリーニ、シニョレッリ、ギルランダーイオ等)が集められて、
左側の壁ははモーゼの一生、右側の壁はキリストの一生のフレスコ画を描いた。その後、ミケランジェロが1508-12年にかけてジュリオU世の命で天井に『創世記』、1535-41年にはパオロV世の命で正面の『最後の審判』のフレスコ画を描き美しい法王の公式礼拝
堂が完成した。一番奥にあるので、たどりつく前にラファエロやアンジェリコなどに圧倒されてしまっていて、この部屋に着く頃にはすっかり疲れ果てていて、じっくり鑑賞する気力が続かなくなる恐れが十分あります。中のカフェテリアで英気を取り戻してから行かれることをお薦めします。
(絵葉書美術館-20旧約聖書2より)

●ダヴィデというとアカデミアのミケランジェロの作品に代表されるように、勇猛果敢な若い戦闘的な立派な王を連想するが、聖書に出てくる話は結構世俗的である。
彼は、戦地に行っている家来の妻の湯浴みする姿を見て心引かれ、呼び出して子供をつくり、その亭主を結局は激戦地に送り出し戦死さしてしまう非道な王でもある。聖書はその罪を一生をかけてつぐなう王を描き(サムエル記)、神に対する不動の信仰の重要性を説いていて、なかなか大した物語性をもたしている。そしてその生まれた子が賢王ソロモンである。
それらを頭に入れてから作品を眺めてみるとまた違った印象を受ける。歴史ではイスラエル王国の繁栄を築いた偉大な父子としてしか習っていなかったと思うけれど……。
(絵葉書美術館-21ダヴィデより)
●聖ロレンツォ教会の右手奥にある新聖具室はメディチ家出身の教皇レオ10世の要請によってミケランジェロの手で作られた礼拝堂兼廟所である。

入って右側に「夜」と「昼」に挟まれた教皇の弟のジュリアーノの若々しい像が、その反対側にはウルビーノ公になった甥のロレンツォの力強い像が「曙」と「黄昏」に挟まれて立っている。
また、右後方には聖母子像と聖コジモ、ダミアヌスの像の下には教会を作ったロレンツォ(イル・マグニフィコ)とその弟のジュリアーノが祭られている。ミケランジェロの絶頂期に刻まれたこれらの像はその力強さで見るものを圧倒する。
礼拝堂自体は彼の手がけた最初の建築物であるが、どこかアンバランスであり、それがルネサンスの終焉を告げている。聖ロレンツォ教会の身廊のブルネレスキの規則正しさと対比してみれば一目瞭然である。
尚、地下室から彼の手によるシノーピア(フレスコ画の下絵)が1976年に発見され、世界中の話題となりましたが、当時フィレンツェに滞在していた工事屋は何とか見せてもらおうとしましたが無理でした。現在チケット売り場で予約すると
見せてもらえるそうです。時間がゆっくりとれる方は是非トライしてみて下さい。
(絵葉書美術館-32墓、棺より)