
●祭壇画の大部分を占める聖母子像の中で、ゴシック後期からルネサンス前期にかけての作品は初々しさが見る者に清涼感を与えてくれる。何度も話題にして恐縮するが、フィリッポ・リッピの作品には完全にとりこになってしまった。
学校からの帰り道、毎日のようにウフィッツィに立ち寄り、ボッチチェルリと同じ部屋に飾られていた聖母子の絵を飽かずに眺めていた頃は
、丁度、異国の地で生活する事に慣れ始めた頃である。
そのむこうに、遥か離れた日本の影がかすかにちらついていたような気がする。
(絵葉書美術館-10聖母子3より)
●復活祭と言うのは3月21日以後の満月の後の最初の日曜日だそうである。丁度、春先の木の芽が萌え始める季節で、復活という言葉にふさわしいと思うが、

何故、生誕祭は12月25日とはっきり決まっているのに、復活祭は月の満ち欠けまで頼りにして決めているので
しょうか? ご存じの方は是非、教えて下さい。それに、新学年が日本と違って復活祭の休みの後ではなくて秋なのか、ずっと不思議に思ってきた。いずれにしろ、休みは嬉しかったけれど。
復活を題材にした作品の中で最もお気に入りはアレッツォの奥にある小さな街サンセポルクロの町立美術館にあるピエロ・デラ・フランチェスカの作品である。
彩度の低いパステル調のフレスコ画に心を奪われ、予定を変更して1泊するはめになってしまった。聖書では墓が開かれ遺体が消えているのをマダレーナが発見するという間接的な表現であるが、
十字架の旗を持ち眠っている兵士達を前に、キリストが棺に片足をのせ仁王立ちする構図には、思わず「大統領!」と声を掛けたくなる雰囲気がある。また同じ作者の傑作『慈悲のマドンナ』も展示されているので、是非足を運んでみて下さい。
(絵葉書美術館-5復活より)
●ピエロ・デラ・フランチェスカの対画肖像作品『ウルビーノ公夫妻の肖像(フェデリコ・ダ・モンテフェルトロとバッティスタ・スフォルツァの肖像)』はちょっと異彩をはなっている。能面のような表情に乏しい白い顔の妻と、騎馬試合で折れた鼻まで克明に描かれた公爵の像は決して美しいとはいえない。

そして背景にはウルビノ公の領地を遠方にいくにしたがって霞んでいく遠近法を用いて描いている。しかも、丁度、首のところに地平線が横切って画面を分断し、不安定な構図である。トスカナ絵画にはみられない作風である。
ピエロ・デラ・フランチェスカはアレッツォ北方の谷合の小村サンセポルクロに生まれ、フィレンツェに出て修行したが、その北方的な描写はフィレンツェのパトロンには受け入れられず、リミニやアレッツォといった東部の地方都市で活躍した。その後、この肖像画に描かれた公爵の知遇を得て、彼の為に数多くの作品を残した。
その多くはウルビノ公国滅亡とともに各地に離散し、上述の肖像画も、元はドゥカーレ宮殿の謁見の間に飾られていたものが、トスカナ大公に嫁いだヴィットリア・デッラ・ローヴェレの相続財産としてフィレンツェにもたらされたものだそうである。
(絵葉書美術館-24肖像画より)