| NICOLA PISANO | /S. | 1220 toscano | - 1287 pisa |
| LORENZO MAITANI | /A.S. | 1280 siena | - 1330 orvieto |
| TINO DI CAMAINO | /S. | 1280 siena | - 1337 |
| LORENZETTI PIETRO | /P. | 1280 siena | - 1345 |
| CORSO DI BUONO | /P. | 1284 firenze | - 1295 |
| GIOVANNI PISANO | /S.A. | 1284 pisa? | - 1314 |
| SIMONE MARTINI | /P. | 1284 siena | - 1344 |
| DADDI BERNARDO | /P. | 1290 firenze | - 1348 |
| ANDREA PISANO(DA PONTEDERA) | /S.A. | 1290 pontedera | - 1349 |
| JACOPO DEL GASENTINO(LANDINI) | /P. | 1297 pratovecchio | - 1358 |
| AGOSTINO DI JACOPO | /S. | 14C | - |
| ANTONIO DI VINCENZO | /A.S. | 14C bologna | - |
| BONINO CAMPIONE | /S. | 14C | - verona |
| LORENZETTI UGOLINO | /P. | 14C senese | - |
| MAESTRO DEL CODICE DI S.GIORGIO | /P. | 14C senese | - |
| MAESTRO DEL CROCIFISO CORSI | /P. | 14C fiorentino | - |
| /A.建築 P.絵画 S.彫刻 |
14世紀、世が安定し、人口も急激に増加し、中世も絶頂期を迎える。しかし、対抗意識が増長し、街中では党派間(教皇党、皇帝党)の争いや、都市国家間の争いが熾烈を極めるようになる。皆、競って塔や宮殿、教会、城壁等を建立したり、拡張し、威を競った。もともと、石造といっても積むか置くしかの方法しかなかったヨーロッパに、
十字軍によってオリエントからキーストーンやリブヴォールトといった組むという手法をもたらされ、巨大空間が作れるようになった。その結果、石工の専門集団が生まれ、ピサ派と呼ばれる人たちが活躍した。
その背景には近郊に良質の大理石の産地カッラーラがあり、古くから石工の技術が育まれていたことや、13世紀にピサ艦隊の運んできた地中海の各地のギリシア彫刻から、その表現方法を学んだことがあげられる。
当時は建築と彫刻の職能は分離されておらず、石工がその両方を兼ねていたので、各地の教会堂建設に招聘され、そこに足跡を残してきた。
一方、絵画の分野ではドゥッチョの流れを汲む、煌びやかな色使いのシエナ派の活躍がめざましく、ロレンツェッティ兄弟やシモーネ・マルティーニらが活躍した。彼らは、ビザンチンの画風を色濃く残し、神秘的、観念的な表現を得意としながらも、フィレンツェ派の新しい表現方法(写実、均整)も取り入れ、国際ゴシック様式の隆盛をもたらした。
●ニコラ・ピサーノはピサ大聖堂や洗礼堂のレリーフ等の製作を行い名前が知られるようになる。その後フィレンツェやボローニャに呼ばれて聖ドミニクスの墓碑やルッカのサン・マルティノ教会のキリスト降架の彫刻を作ると同時に、ボローニャのカテドラルやセッティモの修道院教会、
ピサのサン・ニコラ聖堂の鐘楼などの計画にも携わり名声を得る。1260年、ピサに帰り、彼の代表作ともいうべき洗礼堂の洗礼盤を作成する。その後も、シエナ大聖堂の説教壇や法王クレメンス4世の依頼によりヴィテルボのドメニコ修道院の改修、ナポリのシャルル一世の要請でタリアコッツォの修道院の建設など多くの工事に携わり賞賛を得た。

14世紀になると、その息子ジョヴァンニ・ピサーノがその仕事を引き継ぎ、ペルージアの大噴水の彫刻、ピサのカンポサント(埋葬堂)、シエナの大聖堂のファサード(正面)の計画等を行い、ピサ派と呼ばれる彫刻家の礎を築いた。

同じころ、ピサのポンテデッラ出身のアンドレアがフィレンツェに呼ばれ、大聖堂の正面を飾る四大教父(聖ヒエロニムス、聖アンブロシウス、聖アウグスティヌス、聖グレゴリウス)の像や、聖ペテロ、聖パウロと教皇ボニファキウス八世の三身一体の像等を作成した。またベネツィアにも呼ばれ、サンマルコ寺院の正面の小像等も作成した。
その後、再びフィレンツェに戻り、22年間をかけて代表作とも言える洗礼堂のブロンズの扉を作成し、最後はフィレンツェの市民権を獲得し、二人の息子(トンマーゾ、ニーノ)も彫刻家として活躍した。

●『受胎告知(Annunciazione)』は『ピエタ(哀れみ)』とともに競って画家や彫刻家に取り上げられる題材である。大天使ガブリエルがマリアに化肉を聖告する単純な場面構成であるが、マリアの表情やガブリエルの手の
形にそれぞれ特徴があっておもしろい。また、二人の口からどういった言葉が発せられたか想像するはどうであろうか。
例えば、ロマネスク期のS.ZENO教会の彫刻では『マリア、おめ、孕んだではねえのか?』『んだ。エホバどんがしつこくて。』と素朴な会話が聞こえてくるし、
シモーネ・マルティーニの作品では『マリアお嬢様、もしかすると……』『そういえば……。困ったわ、お父様になんと言おうかしら。』という恥じらいと躊躇いを含んだ会話を想像してしまう。そして、ダヴィンチの作品では
『姫、おめでとうございます。』『これで、あの人も観念するわね。』と自信に満ちあふれたマリアを思い浮かべるのは、不謹慎であるが楽しいことである。
25年以上過ぎて再びウフィッツィ美術館を訪れ、どうしても見たかった作品の一つであるシモーネ・マルティーニの『受胎告知』は眩いばかりに輝いていた。もともと、シエナの大聖堂に飾られていたものであるが、18世紀末、トスカナ大公が無理矢理ウフィッツィに持ってきたものである。
シエナ市民の悔しさはいかばかりであっただろう。
(絵葉書美術館-1受胎告知より)