| BERLINGHIERI BARONE | /P. | 13C lucca | - |
| GIOVANNI PANETTERA | /A. | 13C cefalu | - |
| JACOPO DI LORENZO COSMA | /S. | 13C | - civita castellana |
| MARCO DA BRESCIA | /A. | 13C brescia | - bologna |
| GUIDETTO | /A. | 1204 como | - 1211 lucca |
| NICOLA PISANO | /S. | 1220 toscano | - 1287 pisa |
| COPPO DI MARCOVALDO | /P. | 1225 firenze | - 1274 |
| DIOTISALVI | /A. | 1228 pisano | - pisa |
| GIUNTA PISANO | /P. | 1229 pisa | - 1254 bologna |
| GIOVANNI DI SIMONE | /A.S. | 1230 pisano | - camposant di pisa |
| BERLINGHIERI BONAVENTURA | /P. | 1228 lucca | - 1274 |
| GUGLIELMO DA PISA | /A.S. | 1235 pisa | - 1311 |
| FRA SISTO RISTORO | /A. | 1240 firenze | - 1290 |
| CIMABUE GIOVANNI(CENNI DI PEPO) | /P. | 1240 firenze | - 1302 |
| PIETRO CAVALLINI | /P. | 1240 roma | - 1325 roma |
| ARNOLFO DI CAMBIO | /A.S. | 1245 colle di val d^elsa | - 1302 |
| GUIDO DA SIENA | /P. | 13C中 siena | - |
| /A.建築 P.絵画 S.彫刻 |
ルネサンス時代「野蛮なゴート人の作ったもの」という意味で名付けられた『ゴシック』美術は長い間不当な評価を受けてきた。近世になっても、ブルックハルトのルネサンス歴史観の中で『暗黒の時代』と位置づけられていたが、20世紀になってホイジンガやフォションの研究によって『中世の時代』はやっと正当な評価を受けるようになった。
ホイジンガの名著『中世の秋』で語られるその時代の人たちの情熱は、あらゆる分野で新しい秩序を追い求め、試行し、揺れ動いていた。
12世紀になると、三圃式農業の発達によって生産力が著しく増大し、全員自給自足の生活から脱却した。それまでの生産力は麦一掴みで二掴みの収穫をあげることしかできなかったという。それで、次の年の種を残すと残りは一掴みのみでゆとりなど生まれる余地がなかったが、
この時代になると4掴みの収穫をあげることができるようになり、食糧生産に携わる必要のない士工商階層が増大した。そのゆとりは、組織を確立したキリスト教会の巧みな誘導によって、一つは十字軍に、もう一つはカテドラルを建てることに向けられた。十字軍そのものは結局失敗に終わるが、それに参加した人たちによってオリエントの石造技術や見聞が紹介され、
教会堂が作られ、それをまた巡礼者や商人が自国に伝え、作るという連鎖で、国際的でかつ熱狂的な潮流となった。サンドニ、パリ、シャルトル、ケルン、ウルム、ミュンヘン、ミラノ、フィレンツェ、シエナなど巨大なカテドラルがヨーロッパの至るところに出現した。
それと同時に、その教会を飾る絵画や彫刻の需要が増大し、専門家が生まれる。彼らは弟子をとって工房を作り技術を伝えるとともに、あちこちの教会に招かれたり、注文を受けて工房で作ったりするようになり、彫刻や絵画が建物から分離してくる。得に絵画の分野ではフレスコ(生乾きの漆喰壁に染料を染込ませる)画法から、
携帯壁(板の上にジェッソを流して作ったもの)にテンペラ(卵で溶いた染料の絵の具を使用)画法で描く板絵が生まれ、十字架や祭壇画が作られるようになった。初めのうちは啓蒙的な画題が多かったが、登場人物の動きや表情まで表現され、象徴化されたそれ以前のロマネスク絵画と異なってきた。
そして、それらの作品に自分の名前を残し、他の工房の作品と区別するようになり、芸術家と呼ばれる人達が生まれた。

●ベルリンギエーリ・ボナベンツーラはこうした新しい芸術家の先駆けとなった画家である。ヴォルテッラ出身の父ベルリンギエロ・メラネーゼや兄弟のバローネ、マルコらと共に一家で工房を作りルッカを中心に活躍し、遠くボローニャにも足を延ばした。
ルッカ郊外のペーシャにある『サンフランチェスコ物語』は唯一彼の真作と確認されているが、その色使いと構成はその後のトスカーナ絵画に大きな影響を与え、ルネサンスへの礎となった。たまたま、留学生仲間の美術史家がこの作者を研究していた関係で、彼の車に同乗してペーシャやヴィッラ・バシリカといったトスカーナの片田舎に足を運んだので絵葉書が残っているのだが、
当時はまるで興味がなくて、さっさと眺めて外のバールで地元ワインの味見に現を抜かしていた。今思うと残念にも思えるが、当時は帰りの車のトランクに納められた何本かのビンが目的で連れていってもらったのでどうしようもない。

●チマブーエという画家はちょっと気になる作家である。フィレンツェに住み着いたころ、1966年の大水害でサンタクローチェにあった彼の作った十字架が著しい被害にあって、その補修が終わって丁度クリスマスに再公開されるというので町中大騒ぎしていた。
同じ教会にあったジョットーの十字架は殆ど損傷を受けなかったことを考えると、同じ時期に活躍した二人の脚光のあび方に思いがいってしまう。ジョットーが時代の寵児としてもてはやされ、サン・フランチェスコ派の発展とともにイタリア中で作品を残しているのに対し、チマ
ブーエの作品は数えるしかない。しかも、もう一つの代表作であるアッシジの天井壁画も1997年の地震の際に剥落してしまったという。工事屋の贔屓が彼にあるだけに、気の毒を通り越して、悲運としかいいようがない。
実のところ、チマブーエの一生は謎の部分が多い。ジョットーの師とも言われるし、シエナ派の巨匠ヅッチォの作品である『ルッチェライの聖母』も一時は彼の作品と考えられていた。確実な史実は1272年にローマに滞在し、1302年にピサで死去したことくらいだが、ダ
ンテの『神曲』やヴァザーリの『美術家列伝』によって紹介され、それまでのビザンチン様式以来の二次元的な絵画を超えて、絵画に奥行き感をもたせ、感情表現を重視する表現方法を確立した中世美術の先駆者と言われている。
(絵葉書美術館-6十字架より)