| VUOLVINO | /S. | 11C | - milano |
| DEUSDEDIT | /A. | 1013 | - pomposa |
| BUSCHETO | /A.S. | 1080 pisano | - pisa |
| LANFRANCO | /A. | 1099 como? | - 1106 modena |
| ANSELMO DA CAMPIONE | /S. | 12C modena | - |
| BARISANO DA TRANI | /A.S. | 12C carabria | - |
| BIDUINO | /S. | 12C toscana | - lucca |
| GULIELMO DA VERONA | /S. | 12C verona | - |
| RAINALDO | /A.S. | 12C pisano | - pisa |
| WILIGELMO | /S.A. | 1120 emiliano | - modena |
| BONANNO PISANO | /S.A. | 1130 pisa | - |
| GRUAMONTE | /S.A. | 1150 pistoia | - pistoia |
| VASSALLETTO PIETRO | /S. | 1154 roma | - 1186 |
| GUGLIELMO | /S. | 1159 pisa | - |
| ANTELAMI BENEDETTO | /A.S. | 1175 lombardia | - 1250 parma |
| /A.建築 P.絵画 S.彫刻 |
民族大移動の混乱が遊牧生活から定着農耕生活に移行することによって静まり、シャルルマーニュ(800西ローマ帝国)、オットー(962神聖ローマ帝国)の両大帝の戴冠を経てヨーロッパはやっと安定のきざしをみせる。特に864年シャルル2世によるピートルの告示は、築城権を認めさせ、領民の保護を宣言したもので、これを機に封建領主が生まれる。
また同じ頃に、スペイン北部で聖ヤコポ(ヤコブ)の遺骨が発見され、それを祀る教会堂への巡礼がヨーロッパ各地で興り、いわゆる巡礼の道(サンチャゴ・コンポステラへの道)が整備され、10世紀中頃以降、各地にロマネスク様式の教会堂が建てられ、その壁や柱や門を夥しい彫刻やフレスコ画で装飾した。
ロマネスクとは
『ブルゴーニュのロマネスク』のページでも述べたように、19世紀になって、中世の芸術活動を区分した際、後期のゴシック(ゴート風の)と区分するために用いられた『ローマ風の、ローマ人の作った』という意味の言葉で、実態とかけ離れた言葉である。
建築的な特徴はまたの機会に譲るとして、ロマネスク美術の特徴は、啓蒙的な内容を持つものが多く、ヴェロナのサンゼノ教会の扉のブロンズ製のレリーフの『旧約聖書』を題材としたものや、パルマの洗礼堂にあるアンテラーミ作と言われる『12ヶ月の作業』の石彫など一連の物語的作品が特徴である。
製作者が教会堂建築に携わった職人や聖職者であったために、ローマ時代の均整のとれたプロポーションには及ぶべくもないが、その拙さゆえに、製作者の意図するものが直接的に伝わり、見る人たちの心を揺さぶると同時に、親近感を与えてくれる。
古い教会堂でこれらの彫刻を見つけ、それが信者の手で何度も摩られて黒光りしていたりすると、囲いの外の工事屋も思わず手を出したくなってしまう。

●ジュディッタと同じように男性の首を切った女性で有名なのが、新約の福音書に登場するサロメである。サン・ジョバンニのページにも書いたが、義理の父親(ヘロデ王)と母親(ヘロデヤ・兄嫁)の再婚に反対したサン・ジョバンニの首を踊りの褒美に要求した女性(名前は載っていない)である。
19世紀末、童話『幸福な王子』の作者オスカー・ワイルドの『サロメ』で、預言者ヨカナーンの首を愛撫するビアズレーの退廃的な挿絵で世紀末の一世を風靡し、その後、戯曲や歌劇にとりあげられサロメという名前が定着してしまった。
そもそも、サン・ジョバンニの首を所望したのは非難されたヘロデアからの入れ知恵だったのが、ワイルドによってサン・ジョバンニへの想いを袖にされた腹いせに代わり、果ては義父のサロメへの横恋慕の結果などという様々の脚色が行われ、サロメはすっかり妖婦になってしまった。罪作りな話である。
(絵葉書美術館-21サロメより)
●絵画や彫刻は『記録する』という人間特有の行為から生まれたものであり、日々の生活を描き残したいのは本能であろう。
パルマの洗礼堂のニッチに飾られた12ヶ月を描いたレリーフはB.アンテラーミの作ったロマネスク時代の傑作で、当時の生活を生き生きと表現している。
また、フィレンツェの大聖堂博物館にある、アンドレア・ピサーノの手による青銅製のレリーフは大聖堂建設に資金を出したフィレンツェの各ギルドの職能を浮き彫りにしたもので、入口の扉に飾られていたものである。彼は同時に洗礼堂の南門にある洗礼者ジョバンニの物語も手がけている。
(絵葉書美術館-29生活より)