4世紀から始まったゲルマン民族の大移動はローマ帝国を滅ぼし、ローマ文明を完膚なきまでに破壊してしまった。その混沌とした中で、生まれてきたのが初期キリスト教美術である。もともと、一神教であるキリスト教は偶像崇拝を禁止していたが、公認されて(ミラノ勅令)布教を推し進めるにあたり、
文字の読めない人々にキリスト教を理解してもらうために視覚に訴える方法を採用した。未開の地に率先して入り込み教会を建て、絵物語で飾った(同時にいたるところに教会領や修道院領ができる……これがキリスト教会の世俗的基盤となり、ヨーロッパ文明を方向づけた。)。
初めの頃は迫害時代を引きずっていてシンボルで描かれることも多く、写実的な美術作品というより象徴的な工芸品の世界であった。その典型的な例が6世紀のラヴェンナのモザイクで、金箔をサンドイッチにしたガラスを用いて幻想的な世界を描き出している。
その後、8世紀になって、教皇レオ3世は偶像崇拝を禁止し、聖像破壊運動(イコノクラスム)が起こり再び芸術活動は停滞し、10世紀のカロリング・ルネサンスと呼ばれる新しいヨーロッパの秩序が確立するまで特筆すべきような作品は作られなかった。

●4福音者と12使徒。これだけ沢山の弟子達がいるとどれが誰だか分からなくなってしまう。それに後世に現れた無数の聖人達。キリスト教は大家族である。
四大福音者(聖マルコ、聖ジョバンニ、聖マッテオ、聖ルカ)はそれぞれシンボル(ライオン・鷲・天使・牛)を持っており、シンボルだけで表されることが多い。彼らは新約聖書を構成する福音書を記した聖者で、迫害の時代に官憲の目を逃れるために仲間内だけで分かる符合として定着していったものと思われる。
特に有名なのはベネツィアの守護聖者のマルコであり、サン・マルコにはライオンがいたる所に飾られている。尚、キリストを表すシンボルは小羊やXP、IHS、IHC、IC、XCなどの文字を用いた。
キリストの死後、世界の各地に伝道した弟子たちを使徒と呼ぶ。使徒行伝によればペテロを頭に12人の弟子達がいたが、裏切り者のイスカリオテのユダを排除して、籤で選ばれた聖マッテオを加えて12使徒にしたという。ただ、絵画に表される使徒の顔ぶれは一定ではなく、聖パウロや聖バルナバなどが他の使徒に代わって描かれる場合が多い。
その中で、ローマの地で殉教したサン・ピエトロ(ペテロ)はキリストの後継者(天国への鍵)と位置づけられ、その墳墓の地に建つ
サン・ピエトロ寺院はキリスト教(カトリック)の総本山として名高い。尚、ピエトロが逆さ磔にされた処刑場は、サン・ピエトロ寺院の南の丘にあり、そこにはブラマンテの傑作、サン・ピエトロ・イン・モントリオ寺院のテンピエットが建てられている。
ところで、ピエトロとは『岩』という意味のニックネームで、本名はシモンだったと知っていますか?
(絵葉書美術館-14福音者、使徒より)