フランク・ロイド・ライトについて
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ライトは、ル・コルビジエ、ミースと並ぶ20世紀の三大建築家のひとりである。 日本ては関東大震災の際無傷て残った旧帝国ホテルの設計者として知られている。
南北戦争が終結した2年後の1867年、ライトはイリノイ州の北隣にあるウィスコ ンシン州のRichiland Centerて生まれた。少年時代ライトは多くの書籍や音楽、 絵画、そして豊かな田園風景(夏休みにライトは叔父の農園を手伝いに行った)に 囲まれて育ち、これらの環境がのちのライトの才能を開花させる要因となる。
19歳のとき建築家を目指し、シ力ゴを訪れたライトは、当時人気を集めていた シングル・スタイル(屋根板)Shingle Styleの建築家のひとリジョセフ・L・シルスビ ーに師事した。1年もたたないうちに、ライトの師てもあるアドラーとサリパンの 建築嚢務所に移り、次第にその豊かな才能を発揮していった。とくにライトは住 宅設計をまかせられ、シ力ゴ・ゴールトコーストのJames Charnley House(1365N. Astor St.)は、現存する当時の代表作。
1889年に18歳のキャサリン・トビンと結婚し、オーク・バークに新居を構えた。 1893年に独立してセシル・コーウィンとともに設計事務所を開き、5年後の1898年、 自宅の隣に事務所兼制作室を完成させたのてある。独立してからオーク・パークを 離れるまでの約20年間は、ライ卜にとっつての前期黄金時代であり、この間にライ トはサリバンとともに自然との融合を目指した、プレーリー・スタイルPraire Style を確立させている。プレーリー・スタイルの家の特徹は、低くおさえられた屋根や 延長された梁なとに顕著に見られ、それらが平坦な平原にとけこみ、のびのびと した安定感を与えている。オーク・バークに建てられたライト設計の住宅の大部 分がこの間の作品であり、ほかにもウィンズロー邸、ラーキン・ビル、ハイト・バー ク地区のロピー邸(5757S.Woodlawn Ave.)などがプレーリー・スタイルの作品と いえる。素材には、レンガ、石、木、時にはコンクリートを使っている。
1909年、仕事と自分の人生における転機を悟ったライトは、突然家族と離れて のヨーロツパ行きを断行する。ヨーロッバでも実カを認められたライトは2年後に 帰国するが、オーク・バークには短期間住んだだけて、生活の基盤をウイスコンシ ン州スプリング・グリーンに置き、終生そこで暮らした。
1912年には設計工房タリアセンTaliesinを完成させ、1916年帝国ホテルの設計 のため初来日。約6年閤の在日期間中、ライトは浮世絵のとりことなり、とくに広 重を中心に浮世絵をむさぼるように収集したという。また、この問、日本では芦 屋の山邑邸、東京の自由学園も設計している。
教育にも目覚めたライトは1932年には、自らの手でタリアセン・フェローシップ 設立。建築家志望の才能豊かな若者たちの指導にあたった。教鞭をとったライト は1930年代後半ごろから後期責金時代を迎え、ペンシルバニア州西部ミル・ランの 落水荘Fallingwater、ニューヨークのグッゲンハイム美衛館Solomon R.Guggenheim Museum、ジョンソン・ワックス本社Administration Building for the S.C.Johnson and Son Co.(ウイスコンシン州)など空間を重視した建築を創り出している。
1959年、ライトはアリゾナ州のタリアセン・ウエストて気分が悪くなり、フエニ ックスの病院で2日後に亡くなった。享年91歳。
亡くなるまでの間、ライトがアメリカで完成させた設計は638点、そのうちの約 400が実際の建築物となっている。ル・コルピジェ、ミース・ファン・デル・口一工 とともに20世紀が生んだ偉大な建築家、ライト。ライトの功績は現代の建築界に おいてはかりしれないほど大きい。
(引用許可:ダイヤモンド・ビッグ社「地球の歩き方」編集室)
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