ドイツの街は先の大戦で殆ど破壊された。その復興にあたり国や地方都市は明確な都市計画を作成し、道路や広場を整備し、古い街並みを
復活させた。時には、個々のデザインに口を出すような強力な指導を行った。住民は昔ながらの街並みに愛着を感じ、そのおかげで訪れる人達はドイツらしさを味わうことができる。
それに比べて同じ敗戦国・日本はというと、経済復興を最重点課題とし、自然発生にまかせ都市基盤の整備が常に後追いになってしまった。最近、ようやく、再開発や景観条例などといった整備がなされるようになってきたが、場当たり的なお役所仕事といった感がまぬがれない。
確かに、石積みと木造という建物の構造的な違いも大きな要因だが、街に対する歴史的な考え方の違いが根本にありそうである。単一民族国家である日本では、都市民は戦乱の度に逃げ出し、たとえ戦火で焼け落ちても、為政者が代わっても、再び街にもどれば良い。そして無秩序に街が復興された。街は仮の宿であった。
一方、民族大移動や異民族国家の侵略がくり返されたきたヨーロッパでは「都市即ち国家」の考え方がある。戦争に負ければ、都市は破壊され、住民は殺戮されるか奴隷にされてしまった。日本のように戦争の度に捨て去るわけにはいかなかったのである。城壁で狭い地域を囲み、共住するために広場や公園、道路、上下水道等の都市施設を整備し、教会も民家も砦として頑丈に作り、全体で自分たちの生命、財産を守らなければならなかった。街は生き延びるるための施設である。
■画像は30年以上も前のもので現状とは大きく異なっている場合もあります。