同年代の
ヴェラスケスと
レンブラントは作風が似かよっている。前者は
マドリッドの宮廷を中心に、後者は
アムステルダムの富裕層に人気があった
肖像画家であるが、光のおりなす明暗の対比を描き出すその技法は当時の流行であったかもしれない。

その二人から150年遅れて登場し、二人を尊敬した
ゴヤは初めはカルロス4世のもとで『カルロス4世の家族』、『着衣のマハ』、『裸のマハ』などの作品を次々発表し、
マドリッドの宮廷画家として名声をえるが、聴力を失いだんだん独自の世界に埋没していく。
その後、フランス革命の啓蒙思想とナポ
レオンのスペイン侵略とそれに対する独立戦争という社会の変動の波にもまれ、次第に社会の退廃ぶりを告発する激しい批判的な作品を描くようになった。
晩年には
マドリッド郊外の「聾者の家」に引きこもり、いわゆる『黒い絵』と呼ばれる連作を描いたが、自由主義者弾圧を避けてフランスに亡命しボルドーにおいて客死した。このころの作品を見ると『マヤ』を描いた同じ作家とはとても信じられなく、
どこかやりきれなさに打ちのめされる。

自画像は売れない頃に修作の為に自分を描いたのか、若き頃の自分を美化して残しておきたかったのか若き日の姿が多い。
レンブラントの作品などはとても巨匠と呼ばれる顔ではない。俳優にでもしたいくらい美男子である。その一方で、作品の中に自分を描きこむ自画像も多い。
説明書などを読むと必ずそのコメントがあって、一生懸命捜してみたりする。意外と本体の絵を見忘れてしまったりする。罪作りなことである