
ロッソ・
フィオレンティーノや
ポントルモの師であったアンドレアは父親が仕立屋(サルト)であったからアンドレア・デル・サルトと呼ばれている。しかし、若い頃は金銀細工師のもとで修業したが、成じるにつれ素描や油彩に興味をいだき、周囲から賞賛されるようになり、やがてメディティ家の庇護をうけるようになったという。
その経歴にもとづくものなのか、彫刻的な描写方法は彼の尊敬する
ミケランジェロの解剖学的な描写に通じるところもある。しかし、
明暗の対比や抑制された色使いには、ルネサンスとは異なる息吹が感じられ、
フィレンツェのマリエニズムの先駆者とも言われている。義理の娘(連れ子)を描いたものと言われている左の
肖像画は、わずかに頭を傾け、横目で優しく父親を見つめている姿を描いているが陰になった右目の方が存在感がある。どこか気分を不安定にさせられる作品である。
手に持つ本は当時の詩人ペトラルカのソネットを集めた詩集で『熱き吐息よ、冷酷な心に向かって行け』と書かれているそうで、絵画が物語性や記録性から離れて、
作者の心の表現手段として一人立ちしてきたとも言える。なさぬ仲の美しい娘への精一杯の愛情表現かもしれない。
ブロンジーノは16世紀中期に活躍した
肖像画家である。神経質といえるまで細部を描く彼の手法は心のひだまで表現しているように感じられる。はるばるスペインから嫁いできたエレオノラの
肖像画は、異国の地で子をなした若い母親に宿る不安な気持ちを透き通るような瞳に凝結させ、スペイン風の刺繍のひだのひとつひとつにしっかり根をおろした自信をみなぎらせているように感じさせてしまう。
彼は
ベッキオ宮殿の大広間にもエレオノラと彼女の夫、初代
トスカーナ大公のコジモ一世の
肖像画を描いている。メディチ家の教皇レオ10世が家系存続の為に、無理矢理、傍系の男児に名付けたコジモであり、名前を拝借されたメディチ家の始祖の老コジモは、彼の友人の
ポントルモが描いている。二人とも
マニエリズム期の画家として有名である。