
写真がなかった時代、多くの彫像や肖像画が作られた。多くは時の権力者や指導者達のものであるが、
ポンペイで出土された壁画は庶民の姿が描かれている。実に細やかな愛情溢れる表現方法が見るものの心を和ませてくれる。
私のお気に入りは
ナポリの国立博物館にある『令嬢』である。清楚で知的な表情にとりこになってしまった。

現代においても充分通用するファッション性におもわず街行く若いお姉さんと比較してしまうのは年喰ってしまった証拠なのかもしれないと思う工事屋です。
ジョバンニ・
ベリーニ(1430-1516)という
ボッチチェルリ(1444-1510)と同時代を生きた画家がいる。フラリ教会の聖壇など
ヴェネツィアを中心に北イタリア
ルネサンス初期の担い手として活躍し、その絵は明るい色使いのわりに、どこか憂愁が漂う。
ロンドンのナショナル・ギャラリーでレオナルド・ロレダン公の肖像画を見た時、その沈着冷静な表情にアルプスの北側(フランドル絵画)の雰囲気が感じられ、作者名を見て驚かされた。気になる画家のひとりである。
それは義兄である
マンテーニャと相通ずるところがあり、色彩の大胆な使い方と陰影の深さが
ベネツィア派の特徴ともなっている。
ピエロ・デラ・
フランチェスカの対画肖像作品『ウルビーノ公夫妻の肖像(フェデリコ・ダ・モンテフェルトロとバッティスタ・スフォルツァの肖像)』はちょっと異彩をはなっている。能面のような表情に乏しい白い顔の妻と、騎馬試合で折れた鼻まで克明に描かれた公爵の像は決して美しいとはいえない。

そして背景には
ウルビノ公の領地を遠方にいくにしたがって霞んでいく遠近法を用いて描いている。しかも、丁度、首のところに地平線が横切って画面を分断し、不安定な構図である。
トスカナ絵画にはみられない作風である。
ピエロ・デラ・
フランチェスカは
アレッツォ北方の谷合の小村
サンセポルクロに生まれ、
フィレンツェに出て修行したが、その北方的な描写は
フィレンツェのパトロンには受け入れられず、
リミニや
アレッツォといった東部の地方都市で活躍した。その後、この肖像画に描かれた公爵の知遇を得て、彼の為に数多くの作品を残した。
その多くは
ウルビノ公国滅亡とともに各地に離散し、上述の肖像画も、元はドゥカーレ宮殿の謁見の間に飾られていたものが、
トスカナ大公に嫁いだヴィットリア・デッラ・ローヴェレの相続財産として
フィレンツェにもたらされたものだそうである。