最も好んで聖母を描いた画家は
ラファエロではないだろうか。
ピッチにある大公の聖母、
ウフィッツィにあるヒワの聖母を初めとして、彼の代表作には後世の人達がつけた通称が冠されている。引きずり込まれるような柔らかい表情
は女性の理想と感じられたのであろう。彼は、画家の息子として
ウルビノに生まれ、その才能は幼少の頃から認められ画家としてデビューする。その後、
ペルジーノの工房で研鑽を積み、1500年に
フィレンツェにやってきて中央画壇に華々しくデビューする。
同時期、活躍していた
ミケランジェロと対照的に外交的で人付き合いが上手く、多くのパトロンに恵まれ、工房を作り数多くの作品を残した。

左から光栄の聖母、椅子の聖母、大公の聖母、ヒワの聖母、井戸の聖母、ボネッリの聖母
ルネサンス後期の天才
ラファエロ、
ミケランジェロの後に現れた
ブロンジーノ、ロッソ・
フィオレンティーノ、
パルミジャニーノ達は
マニエリストと呼ばれる。模倣者とか技巧者とかの多少侮蔑的なニュアンスのある呼び名であるが、
後世の美術評論家が勝手に位置づけた呼称に異議を差し挟むであろう。彼等は巨匠達を凌ぐ技法をもっているし、新しい物を求めて努力している。
ブロンジーノの澄み切った細部までの表現主義、
パルミジャニーノの首長のマリアに見られる不安定な
構図、
フィオレンティーノの叙情的な暗さの表現方法など特異な嗜好が見られる。結局、それらはバロックという大きな波に飲み込まれてしまうのであるが……。