ローマ文明の滅亡後、絵画、彫刻が初めて建物から分離し、美術品としての存在を示すようになったのが十字架である。キャンバスと油絵の具はルネサンス期になってからであるが、板絵が登場するとそれまでの
フレスコ画に比べて鮮やかな色彩で
表現されるようになり、移動が可能となった。同時に、作者名が表に現れてくるようになった。「○○教会の東壁面の絵」という特定の仕方ができなくなり、誰それの作品という必要ができてきたのであろう。
フィレンツェの
サンタ・クローチェ教会教会にある
チマブーエ(左)と
ジョットー(右)の十字架は当時の代表的な作品である。どちらかというと、
チマブーエの腰をくねらせた構図の方が少し肉感的で、私の好みである。
最後の審判は世界が終末を迎える事を前提にしている。最近、無事過ぎ去ったノストラダムスの大予言みたいなものが、古くから何度も繰り返されてきたのだろう。全ての宗教に於いてこの末世思想が秘匿として扱われている。自分だけは救済されたいと思う人間の弱さの裏返
しであろう。
バチカンの
システィーナ礼拝堂の最後の審判の壁画は一日中見上げていても飽きることはない。一人一人の表情はもちろん、指先、筋肉の盛り上がり方さえ、
見る者に感動を与える。
ミケランジェロが審判者のような錯覚さえ覚える。
チマブーエという画家はちょっと気になる作家である。
フィレンツェに住み着いたころ、1966年の大水害で
サンタ・クローチェ教会にあった彼の作った十字架が著しい被害にあって、その補修が終わって丁度クリスマスに再公開されるというので町中大騒ぎしていた。
同じ教会にあった
ジョットーの十字架は殆ど損傷を受けなかったことを考えると、同じ時期に活躍した二人の脚光のあび方に思いがいってしまう。
ジョットーが時代の寵児としてもてはやされ、
サン・フランチェスコ派の発展とともにイタリア中で作品を残しているのに対し、チマ
ブーエの作品は数えるしかない。しかも、もう一つの代表作である
アッシジの天井壁画も1997年の地震の際に剥落してしまったという。工事屋の贔屓が彼にあるだけに、気の毒を通り越して、悲運としかいいようがない。
実のところ、
チマブーエの一生は謎の部分が多い。
ジョットーの師とも言われるし、
シエナ派の巨匠
ヅッチォの作品である『
ルッチェライの聖母』も一時は彼の作品と考えられていた。確実な史実は1272年に
ローマに滞在し、1302年に
ピサで死去したことくらいだが、ダ
ンテの『神曲』や
ヴァザーリの『美術家列伝』によって紹介され、それまでの
ビザンチン様式以来の二次元的な絵画を超えて、絵画に奥行き感をもたせ、感情表現を重視する表現方法を確立した中世美術の先駆者と言われている。