ワルター・グロピウスの『バウハウス』によって始まったインターナショナルスタイルは第2次大戦後の復興とともに世界を席巻する。
コルビジェ、
サーリネン、ミース・ファンデル・ローエ、丹下健三等の建築家たちが合理主義、機能主義、
構造主義などのお題目を唱えながら、コンクリートと鉄とガラスでできたシンプルで無駄のない、使いやすい建物を計画していった。
特に工業技術の進歩が著しいアメリカの
ニューヨークでは鋼鉄とガラスでカーテン・ウォール工法による軽くて強いオフィス・ビルの高層建築が次々に建てられ、摩天楼が形成された。その先鞭となったのが『レス イズ モア(少ないことはすてきなこと)』と設計者自信が表現したミースのシーグラム・ビルである。
直方体の鋼鉄とガラスの箱をピロティの細い柱で支え、真平らな石畳のアプローチの奥に配置した光景には、簡潔さを通り越して一抹の不安さえ感じる。特に、地震国日本から来た訪問者にとって、震度3でも倒壊する恐れがあるという柱の細さには驚かされる。
(9.11であまりにも見事に倒壊した貿易センタービルを思い出してしまう。風力程度の横力しか考えていなかった構造計算では一部が欠落すると、それによって連鎖的に横力が増加して行く事態は予想だにしていなかったであろう。)
インターナショナルスタイルは工業技術の発展とともにプレハブ化やユニット化が行われ、構造の面でも吊り構造やプレストレス、ポストテンションなどの工法が開発され、柱のない巨大空間(ケヴィンローチ、グンナーバーカーツ)へ発展していく。また、4つのコア(7.8m四方)で200m以上も建物を持ち上げたCITIコープのヒュースタビンスなどアメリカは常に世界の建築をリードし続けてきた。
同時に、S.O.Mのようなエンジニアリングと一緒になった大組織設計事務所も生まれ工場生産のように次々にビルが建てられ壊されていった。その実験場となったのが
ニューヨークのミッド・イーストである。